ベタのあしあと
2010-05-17 00:18:54| 分类:
美文欣赏
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ベタは高校生のときに僕の家に迷い込んできた犬だった。たった四日だけ飼った。小学校低学年から高校までいっしょに過ごしたデレが、いなくなって間もなく、うちに迷い込んできたのがベタだ。
体格が堂々としていたデレに比べると、ベタは貧相な犬だった。覇気というものがない。しかし迷い込んできたその日のうちに餌をあげると、そのままいついてしまった。
二日目の朝、ベタはまだ飼われて一日しか経っていないのに、僕の顔を見ると、鼻をふん、ふん、いわせながらすりよってきてやたらに甘える。ベタベタ甘えるので「おまえの名前は今日からベタ」ということになったのである。
前の犬デレが立派すぎたせいもあるだろう。何かといえばついデレと比べてしまって、喧嘩は弱そうだし、根性もなさそうだし、メスにももてなかっただろうなーなどとベタを見ながら暗黙のうちに比べていると、そんな飼い主の観察を見抜いたのか、教えたばかりの「お手」をしつこいくらい繰り返して「僕だってこんなことができるんだぞ」とPRしてみせる。
元気はないけどこの犬の無気力なところが好きだな、などと思いつつ三日目の朝を迎えた。この日は学校が休みだったので、テラスのたたきにコンクリートを塗る仕事をした。おじいちゃんと共に、半日かけて丁寧に仕上げ、見違えるような立派なたたきになった。
表に貼り紙をして、コンクリートが乾くまで誰も足を踏み入れないように警告し、更に縄を張って立入禁止にする。あとはコンクリートが乾くのを待てばよい。
四日目の朝、学校へ出かける時に、もう乾いたかな、と見てみると、なんということか。コンクリートの上に犬の足跡がたくさんあるではないか。ベタの足跡であることが一目瞭然である。
くそー半日かけてやったのに、このあほ犬めー。朝からベタベタなつくベタに、彼の仕業(しわざ)を指さして、頭をばんばん三度くらいたたいた。
ベタは自分がなにか失敗をやらかしたらしいと気がついて、ものすごくさみしい目で僕を見ると、すごすごと庭の方に行ってしまった。怒りが納まらないので、僕はフン!とばかりに無視して、そのまま学校に行った。
四日目の夕、ばあちゃんが「犬がご飯を食べんとよ」というので、あいつ僕にしかられてしょげてしまったのではないかと、慌ててベタのところにいった。ベタ!と声をかけるが、様子がおかしい。フルプル激しく震えているのだ。
ぎょっとして、ベタ!と何度も声をかけるが、反応はない。狂犬病なのかな、とも一瞬思った。犬を何度も飼ったことがあるおじさんに電話すると、来てくれた。
ベタは動かない。おじさんは一目見るなり「ジステンパーやね。もう助からん」と言った。僕はベタに牛乳(ぎゅうにゅう)をあげようとしたり、チーズを食べさせようとしたが、何も食べない。そうして瞬く間にベタは動かなくなり五日目の朝を迎える前に死んだ。あまりにあっけなかったので、悲しみの涙さえ出なかったほどだ。
それから数日して、学校から戻ってきて、その日は玄関からではなく、庭から家の中に入ろうとしたら、コンクリートのたたきの上に、ベタがつけた足跡がたくさんついている。
じっと見ているうちに涙が止まらなくなってしまった。
ベタの頭をたたいたことを思い出して、自分を責めた。ベタの最後の一日、僕はベタの頭をたたいたまで、あの世に行かせてしまった。なんという悲しいことをしたのだろう。ベタのさみしそうな目を思い出した。ベランダのコンクリートにつけた足跡なんて、そんなことはどうでもよかったのだ。
それから僕は東京の高校に転校したので、再び犬を飼うことはなかったが、大学時代まで帰省する度にベタの足跡がテラスに残っているのを見てはベタと過ごしたたった四日間の時間のことを思い出してしまうので参った。
七年を過ごしたデレとの別れも悲しかったが、今は思い出しても涙することはない。ベタの最後は今でも思い出すと強烈(きょうれつ)に涙する。
潮文社「心に残るとっておきの話」より
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